また、運命を享受したうえで生き方を見つけよ、といった意味合いで、「置かれた場所で咲きなさい」などと言われることもあります。

仏教でも「吾唯知足(われただ足ることを知る)」という言葉があり、満足する心を持ちながら日々を過ごすのもひとつの生き方でしょう。僕も「なるほど、一理あるなあ」と思ったりします。

と同時に、「冗談じゃない」とも思ってしまう。「自足して生きていけ」という考え方は、ある意味で格差社会を認めることにもなります。

僕らが若い頃は、デモが盛んでした。しかし日本では今や、メーデーのデモもほとんど見られません。僕は、時には怒りの声を上げることも大事だと思うんです。

運命を受け入れることと社会の理不尽に怒ること、どちらがいいとか悪いとかではありません。各々が物事を一面的ではなく多面的にとらえ、自分で選択していくことが必要なのではないでしょうか。

後編につづく

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