(撮影:大河内禎)
92歳の現在も、執筆や講演など忙しい日々を過ごす五木寛之さん。壮絶な戦争体験や家族との別れなど「僕の履歴書は不運だらけ」と話しながらも、自身を幸運だと言い切る理由は――(構成:篠藤ゆり 撮影:大河内禎)

前編よりつづく

負の経験も大きな財産に

自分の人生を振り返ってみると、何をやってもうまくいかず、どん底としか言いようのない時代がありました。また、命の危険と隣り合わせだった時期もあります。なぜあのような悲惨な経験を少年時代にしなければならなかったのかとも思いますが、それが今の自分を作っているのかもしれないと感じるのです。

中学1年の夏、現在の北朝鮮の平壌(ピョンヤン)で敗戦を迎えました。平壌にソ連兵が進駐し、混乱の中、母は死にました。母を失った父はアルコールに溺れ、13歳の僕は弟と妹を飢えさせまいと、必死で生き抜いた。

38度線を越えて開城(ケソン)に脱出し、福岡に引き揚げられたのはラッキーです。日本に戻るまでに悲惨な日々が続き、帰国後も困難が続きました。

まさに地獄のような日々の中で少年だった僕の心に刻まれたのは、「善人は生きて国に帰れない」という思いでした。人の足を引っ張ってでも自分は生きて帰ると思わなければ、引き揚げることができなかったのです。