実は戦後72年間、僕は一切病院に行きませんでした。いつ何時も養生で乗り切ってきた。すると僕が85歳の時、精神科医でもあるうちのカミさんが、ある分析をしてくれました。「あなたが病院に行かないのは、母親に対する贖罪(しょくざい)の気持ちがあるからではないか」と。
敗戦直後、母親が激しく吐血しているのに、薬一服、注射一本施すことができず見殺しにした。そんな罪悪感が心の奥底に潜んでおり、だから自分には病院に行く資格がない、行ってはいけないと思っているのではないか、と――。
そう言われて初めて、無意識のうちに抱えていた罪悪感から解放されました。そして、ごく自然に「あ、もう、病院に行ってもいいんだ」と思えたのです。医療を受けられずに死んでいった母親の代わりに病院に行くんだと思ったら、楽に足を向けることができました。
今になって思うと、母をあのようなむごい状況で失ったからこそ、病院に行かないですむよう「養生」に熱心だったのかもしれません。そのおかげでこの年齢まで仕事ができているのだとしたら、何が幸いするかわからないものです。
運不運、幸不幸はなかなか一筋縄ではいきません。人生、まさに「禍福は糾える縄の如し」。92年生きてきて、改めてそう実感します。