北朝鮮で暮らしていたのは親が選択したことであって、僕の選択ではありません。たまたまあの時代にあの両親の下に生まれたのは、いわば運命。
しかし当時の苦い経験は、決してマイナスだけではありませんでした。その後の人生でどんな困難に見舞われても、「あの時よりはましだ」と思うことで、乗り越えたり、やり過ごしたりすることができたのです。
卑近な例で恐縮ですが、講演会で地方に呼ばれ、時には狭くて貧相なビジネスホテルに泊まらされることがあります。そんな時、一瞬ムッとしますが(笑)、個室でシャワーもついているし、「難民キャンプで重なり合って寝ていた時のことを考えたら、天国じゃないか」と、一瞬で気持ちを切り替えられる。
それはものすごく幸せなことだし、負の財産ではあるけれど、同時に大きな財産だとも思っています。
だからといって、子ども時代に苦労したほうがいい、と言っているわけではありません。あんな悲惨な経験は、しないほうがいいに決まっています。戦争に対して、また、外地にいる国民を「棄民」した国に対しては怒らなくてはいけない。
しかし、自分個人の来し方を考えた場合、あの経験が後の人生において大きく役に立っていることは確かでしょう。