年齢差なんて考えたこともなかった
菅のほうはどうだったのか。いわば紹介者でもあった美術評論家の東野芳明は菅に「富岡さんと一緒になるんだって?」と聞き、「そうだよ」と答えると、「へえ~」と返してきたという。
「当時の美術界の男女関係って、それぞれに傷があったりするわけだからひとのことは言えません。でも、知っているひとは驚いたでしょうね。うちの親は何にも言わなかったですよ。子どもに対しては、好きに生きていけという親でしたから。僕も野放図だから、周りが気にする年齢差なんて考えたこともなかった。多惠子ちゃんと僕が一緒になってから 当時、彼女と一番仲がよかった白石(かずこ)さんも、僕と同じような年下の男と結婚したんですよ。白石さんが離婚後につきあった男はみんな黒人だったんですが、きっと多惠子さんに感化されたんだよね。白石さんには、『木志雄、木志雄』と呼ばれてました」
亡き妻への思いを語り続ける菅に、なかなか池田満寿夫の名前は言い出せなかった。取材を始めて3カ月が過ぎて思い切って口にすると、「俺はそんなヤワじゃないよ」と笑い飛ばされた。
44年生まれの菅と34年生まれの池田満寿夫は、同じ美術界にいても交差することはなかった。
「一緒に暮らし始めたころは、多惠子さん、池田についてはほとんどしゃべらなかったんです。ふたりの間で池田の名前がタブーだったわけではないんですよ。ただ彼女が池田をどう思っているのかはシビアな問題だから、僕がいちいち事を荒立てることはないと黙っていたよね。僕は池田との面識はまったくありませんが、でも、池田満寿夫が彼女のパートナーで、どういうふうにふたりがいたのかというのは、同じ業界だから耳に入ってくる。多惠子さんを知る前から、池田はめちゃくちゃ有名で、ヴェネチアのビエンナーレで版画グランプリをとって最盛期だったし、こんなヤツがいるんだと思って見てたよね。僕はあんまり版画には興味はなかったけれど、色もデフォルメもいいし、こんなエロチックなことをやってるんだ、才能はあるなぁって思ってました。
多惠子さんは、池田と別れる決心がなかなかつかなかったんじゃないかな。あとになって『こういうふうに仕事してたんだよ』とか聞いたけれど、池田とはひとつの事業をふたりで一緒にやっていたようなもので、家内工業をやっていたわけですよね。池田の成功には彼女の力も大きかったわけだし、同志だったし、仲間だったんだよね。心理的に深いところで結びついていたのだから、そんな暗黙裡につながった女を池田は裏切った。腹も立つし、残念でもある。出会ったあたり、彼女がだいぶ悩んでいるなというのは、そばにいてわかっていましたよ。一度、東野芳明が合田(佐和子)さんの部屋にリランを連れてきたことがあって、僕も多惠子ちゃんも偶然だけれどリランとすれ違っています。リランは細面の美人だったね」