人間存在の「恐ろしいほどの孤独」

映画はやがてデヴィッド船長とHALが戦う心理サスペンスとなっていくのだが、妙な動きをするHALを停止させた方が良いのではと、デヴィッド船長とフランクがHALに聞かれないようにドアを閉めてした会話を、唇の動きでHALは読み取ってしまう。この中盤のクライマックスにはぞっとさせられた。

後半はデヴィッド船長対HALの戦いと、難解な映像イメージの羅列から構成されるが、見ている間中感じていたのは、人間存在の「恐ろしいほどの孤独」だ。人間は誰もが裸でこの世に送りだされ、やがて死んでいくわけだが、宇宙空間にうかぶ飛行船に1人取り残され、発狂せずに生きていけるだろうか?

地球まで帰れるとしても何年もの間宇宙船を運航しなくてはならない上、「完璧」と言われたコンピューターなしには、自分の位置さえ割り出す事が難しいだろう。深い海の潜水競技に挑む選手は、時に上下左右の感覚を失い、浮かび上がることが困難になると言う。海面から数十メートルも潜れば世界は闇で包まれる。いわんや宇宙の中で、である。

私は「実存主義」などは理解できないが、この映画に人間存在の恐ろしいほどの孤独なら感じとれた。

終盤、木星の引力圏に引き込まれて落下していくデヴィッド船長が見るイメージは、死の前に見る走馬灯だろうか? サイケデリックな色彩に処理され、早送りされた鏡面画像のトリップ感はいかにも60年代。そしてマルグリットやダリを思わせるシュールなインテリアの中、デヴィッドはベッドに横たわり、老いて死にゆく自分の不可解なイメージを見る。

それに何の説明も無いまま映画は終わるのだが、最期にデヴィッドが見るイメージについては、皆さんが自分で楽しめるように言わないでおこう。けれど私たちが存在することが奇跡なのだと感じさせてくれるポジティブで神秘的なイメージだ。