それから、あれよあれよと言う間にギプスをされ、2度目の三角巾姿になり、意を決し実家に帰宅。母は変わり果てた娘の姿を見て、一瞬ですべてを悟ったようだった。
そして、母は夫と父の会社に電話して淡々と報告し、「これで良し」と呟いていた。帰宅した夫と父を交えた話し合いは母の独擅場で、私は借りてきた猫のようにおとなしくしていた。とりあえず私はそのまま実家に居候。母は文句ひとつ言わずに優しくしてくれた。
また、毎日仕事帰りに立ち寄る夫にもおいしい食事とお風呂を用意してくれ、父は夫と毎晩晩酌を楽しみ、本当に母のサポートがありがたかった。
経過は順調で、2ヵ月半後、電動式カッターでギプスを無事に切り終わった時の院長先生の「うまいもんやろ!」という笑顔を忘れることができない。その後のリハビリでも、理学療法士さんのサポートのおかげで関節機能や筋力も順調に回復した。
居候生活最終日の朝、私は母に、なぜ文句の一つも言わなかったのかを尋ねた。「最初の骨折の時の罪滅ぼしだったからね」と母。私は泣きながら母の手を握って「ごめんね、ごめんね」と、夫が迎えに来るまでの間ずっと謝っていた。その後、私は自分の行いを心から反省。現在まで無事に過ごし、お世話になった人々に深く感謝している。
けがは早めに処置することが大切です。骨折に対する応急手当の方法を知っておくといいでしょう。