ナセル病院で共に働いたスタッフと本川さん(中央)(写真提供:MSF)

この異様さが伝わらないもどかしさ

ガザのMSFでは、24年12月時点で約900名の現地スタッフと37名の国際スタッフが働いています。私たち国際スタッフはコンクリートの建物で寝起きしていますが、現地スタッフのなかには、家族とともにテントで生活を続けながら病院で働いている人もいるのです。

ある時、爆撃で両足を失った2歳の女の子と、腕を複雑骨折した母親が病室にいました。後に男性看護師が、女性は彼の妹とその娘だと教えてくれたのです。しかも女性と一緒にいたお兄さんは亡くなった、と。衝撃を受けました。

何ヵ月も緊張が続き、現地スタッフはみんな目の下にクマを作っています。24年11月後半は食料危機の状態でした。食料は缶詰みたいなものばかりで、パンもろくになかった。

それでもガザの人たちと食事をしていると、「コレおいしいから食べてみて」と、私たちに分けてくれようとする。みんな本当に優しく情に厚く、タフです。ガザの「人」に魅了されて、何度も訪れる外国人も少なくありません。

私が2回目に派遣される少し前、夏に一緒に働いていた現地スタッフのハサンが、MSFの職員として8人目の犠牲者となったことを知りました。彼には7人の子どもがいます。ハサンが空爆に遭った瓦礫の下から、ボロボロになったMSFのベストが出てきたのを、SNSの動画で見ました。

この空爆では14人の子どもを含む、少なくとも33人が犠牲になっています。もう一つの動画では少女が瓦礫の中に立ち、大粒の涙を流しながらベストの持ち主の亡骸を探していた。ハサンの長女でした。

人がある日突然消えてしまう。遺体さえ見つけられない。そんな事態が、ガザでは数えきれないほど起こっています。2度目に行ってスタッフの顔を見渡した時、自分の家族が亡くなったことを教えてくれた人が何人もいました。

この人は叔父と祖父を亡くした、この人は4歳の娘を……。「ガザには愛する人を殺されていない人など残っていない」と、誰かに聞いた言葉が頭の中でリフレインし、この異様さが世界に伝わらないもどかしさ、悔しさ、怒りが湧き起こりました。