心臓神経症になった母
私は、卒業をしたいから大学には通っていた。しかし通学のバスでは、つり革につかまらず、椅子にも座らず、人とぶつからないようにしていた。人間には病気に対する抵抗力があることなど忘れ、あらゆる菌がつくことを恐れていた。
家に帰ったら菌を殺すために熱い風呂に入り、着ていたものを全て洗濯。手はふやけてしまうほど石鹸で洗う。身の回りのものは、すべてアルコールで消毒するのである。
母は「森田療法の本を読んだら治る」と言い、『神経衰弱の本態と治療』(医学博士・慈恵会医科大学教授・高良武久著、眞木書店刊、1954年10月刊、翌年6月重版)を私に渡した。
「森田療法」とは、精神科医である森田正馬(もりたまさたけ、1874~1938)が、独自に始めた神経症の精神療法である。神経症の不安や恐怖を無理になくそうとせずに、「あるがまま」を受け入れ、自分の本来の生きる力を活かして生活できるようにする治療法だ。森田医師は東京慈恵会医科大学精神医学講座の初代教授である。

母は私を産んで少したってから心臓神経症になった。検査をしても心臓は悪くないのに、心臓が悪いと思ってしまう神経症である。走れば心臓がドキドキするのは当たりまえなのに、「大変だ!」と思い、パニックになったりするのだ。
父の不倫から母の心がおかしくなったのだ。しかし、原因を究明したところで何にもならない、今を生きろというのが森田療法なのである。母は私に「神経症は苦しい病気。精神病と違い薬では良くならない。自分で治さなくてはいけないのだから」と言った。
私は本を読んでも治らず、森田療法の本山といえる高良興生院に診察を受けにいった。そして、大学の春休みを利用して、高良興生院に入院することを自分で決めた。
(つづく)