「させられている」から「したほうが得」に

では、掃除を習慣化し、道を究めるにはどうしたらよいのでしょうか。それは、簡単な掃除、片づけを毎日続けること。

目の前の新聞の束を片づける、棚のほこりを払う、脱いだ服を畳むなど、何でもよいのです。それも一日ひとつでかまいません。空間が少しずつ整ってくると、「気持ちいい」「スッキリした」と感じるようになり、それが習慣化の第一歩に。そして、気づかぬうちに心も整っていきます。

大切なのは、「汚れたら掃除をする」のではなく、汚れていなくても掃除をし、場を整えること。きれいな場所をさらに磨き、清らかにする。これが、本当の掃除の意味なのです。お寺の廊下が、毎日輝くように磨き上げられているのは、掃除道を徹底しているから。

とはいえ、「自分が一生懸命片づけても、家族がどんどん散らかしてしまう。だから掃除をしたくない」と言う人もいます。それは「掃除をさせられている」と思っているから。そうではなく、掃除をしたほうが得なのだと発想の転換をしましょう。実際に、掃除をした人だけが、心が整うわけですから。

さらに、家の中が片づくと、家族も徐々に「散らかしてはいけないな」という気持ちになるものです。これも掃除の大きな効果。

散らかった場所はどんどん荒れていきますが、整った場所は汚すことに罪悪感を抱きやすいため、きれいな状態を保ちやすい。枯れ葉一枚落ちていないお寺の境内に、ゴミをポイ捨てしにくいのと同じです。