「死蔵」に囲まれていると心が病んでしまう
掃除を困難にする要因に、「そもそも、ものが多い」ということもあるでしょう。お釈迦様は「人の欲望は、ヒマラヤの山を黄金で埋め尽くしても、まだ満たされない」という言葉を残されました。
現代社会は豊かになり、ものを手に入れることも容易です。断捨離がブームになってから、不要なものは潔く手放すという考えが浸透してきたように思いますが、多くの人はまだ、ものが溢れた家に住んでいます。ネットショッピングなどであれこれ買ってしまうのは、心が満たされていないからです。
「足るを知る=知足」という言葉があります。これは「有り難い」という気持ちで、ものを大切に使うこと。縁があって自分の手元に来たのだから大切に使う、今、ものがあることに感謝の念を抱くことを言います。
ところが実際は、せっかく手に入れた多くのものを家のどこかにしまい込んでいる人がいかに多いことか。それではただの「死蔵」になってしまう。
仏教には、「ものにも命があり、それは生かさなければいけない」という考え方があり、生かされていないものに囲まれていると、心が病んでしまうのです。
たくさんのものは一見物質的に豊かに感じますが、実は心が満たされていない証拠。そんな欲は、心の「ゴミ」なのです。
使わないものたちに部屋を占領されて、「狭い、片づかない」と言いながら暮らしていると、イライラしませんか? 探しものも多くなり、時間を失うことにも繋がります。私たちは探しものが始まった瞬間、焦りや不安の感情が生まれて、心が乱れていくのです。
それでも、ものを手放せないのは「執着(しゅうじゃく)」以外の何ものでもありません。執着を手放し、不要なものを手放すことで、むしろ心は豊かになっていくのです。