整うことは、気持ちがいい

さて今年の私はといえば、元日のお正月行事から節分までを全力で駆け抜け、立春を迎えると少し年のはじめの慌ただしさから解放されて、毎年じんわりと新年のシフトに落ち着く感じがする、今年もそんな感じで始まっておりまする。

屋外にいる和泉家のみなさん
神田明神さまでの豆撒き。これから櫓にむかいます!

というのも、我が生業である狂言師の家は年越しライブや年越しイベントはないものの、(あ!そういえばミレニアムの年には、岡山の後楽園の特設ステージでまさに年越しの時刻に狂言を演じていたが、他には覚えが無い)元日から、紋付袴、娘達は新年に相応しく振袖に袴のいで立ちで少し華やかに、年頭のご挨拶から始まる。

「明けましておめでとうございます」

日々の稽古の時と同じく、声が揃う。

声が揃うためには、息が揃わなくてはいけない。

息を揃えると、声だけでなく挨拶の所作もおのずと揃う。ただ揃える事に執心しているのではないが、自然に揃う。揃わないのは気持ちが悪い。

狂言でのご挨拶の型で言えば、指先も全指しっかりと揃えるのがお約束。

身体の一番先端にある手の指に至るまで神経が行き届いている、心が通っている事が見てとれるのである。

「整う」ことは、気持ちがいいし清々しい。

年頭のご挨拶、お屠蘇の儀、稽古はじめ、謡初め、そしてお節にお雑煮、氏神さまに初詣と今年も毎年と同じくつつがなく進んでいく。