「デビュー前、ライブで島唄をやったら、お客さんから「民謡はいらない」とか言われたりもしたけど、2000年代に入ると突如として沖縄ブームが巻き起こって」(上地さん)

比嘉 同時に、こんな日が来るとは思ってなかったという驚きもあった。だって、上京して土木関係の日雇いのバイトをしてた頃は、ウチナーンチュは外国人の列に並ばされてたんだから。誰も悪気なんてないんだけど。

上地 僕らが4歳の時に本土復帰するまで沖縄はカリフォルニア州だったけど、僕ら世代は日本人だと思って暮らしていたから、東京に来て違和感を抱くことは多かった。

比嘉 「沖縄の人って日本語喋れるんだ」って言われて愕然としたこともあったよ。

島袋 あの頃から栄昇は言ってたよね。「沖縄も日本なんだと証明するために、きれいな日本語で歌うバンドになろう」って。

比嘉 いつか琉球音楽とブルースを融合したオリジナルな歌を日本中の人たちに届けて、沖縄と日本本土の架け橋になりたいって使命感に燃えてた。誰にも頼まれてないのに。(笑)

上地 デビュー前、ライブで島唄をやったら、お客さんから「民謡はいらない」とか言われたりもしたけど、2000年代に入ると突如として沖縄ブームが巻き起こって。僕ら、時代に応援されたなと、つくづく思う。