比嘉 でも僕のなかでは、本格的な島唄は封印してた。1学年上の新良幸人(あら・ゆきと)、同級生にも大島保克(おおしまやすかつ)がいて、伝統的な沖縄音楽を継承するのは2人だと思ってたから。
島袋 僕らはブルース路線でって決めてたけど、93年にレコーディングでアメリカのナッシュビルへ行った時、メンフィスまで足を延ばして打ちのめされた。ブルースはこの土地の人たちの音楽なんだって。
上地 だったら僕たちの音楽は、島唄だと。
比嘉 僕はB・B・キングが経営するライブハウスで、店の人に「日本から来たプロのミュージシャンだって? 1曲やってみないか」って上から目線で言われた時に開眼した。
日本人を舐めんなよとカチンときて、「30分演奏させてくれるなら」って応えたけど、そこから人生史上最高速度でセットリストを考えて、結果、浮かび上がったのは、喜納昌吉(きな・しょうきち)さんの「花」とか、保克と作った「イラヨイ月夜浜」とか、島唄ばかりだった。で、そういうことかと。
島袋 ここでブルースやっても歯が立たない、でも日本には島唄がある。結局、30分は無理と言われてやらなかったけどね。
比嘉 内心、あぁよかった~って(笑)。でも、あの経験を経て、島唄ってブルースに負けてねぇんじゃね? むしろ勝ってね? って思うようになった。で、僕ら島唄をやらざるをえないので、どうかやらせてくださいっていう気持ちになったんだよね。