この髪形を維持するのもなかなか面倒で、墓じまいならぬ髪じまいを考え始めたあたしは、美容室にパーマかけに行くたびに「年取ったらおさげにしたい」と美容師さんに話していた。アメリカの先住民みたいなおさげである。「将来、まあ七〇くらいになったらね」ナドと言ってるうちに、もう七〇ではないか。ファンタジーのようなものだった、老いるということ。
さて、去年の九月のこと。夏じゅう酷暑で、夏じゅう髪をくくりあげていたから、パーマがすっかり伸びちゃって、久しぶりに美容院に行って、安達ヶ原のジャニスに戻ったところだった。で、また「いつかおさげに」と言ってたら、美容師さんが言った。
「こないだグラミー賞の授賞式にジョニ・ミッチェルが出てきて、もうすごいおばあさんで足も悪そうだったけど、髪を長いおさげにしてましたよ。昔の歌を歌ったけど、なんだか昔よりずっとよかったですよ」
ジョニ・ミッチェル。
一九七六年に、アルバム『ヘジラ』を聴いたときの衝撃は忘れがたい。
「ほら、これ」とその場でグラミー賞の映像を見せてもらって、あたしは決めた。いつかじゃない、今だと。よし来たと美容師さんがざっくり編んでくれた。短いおさげはちょんちょこりん、額から顔の周りにカールしたての髪がパラパラかかった。
鏡を見ると、なんだかものすごくなつかしい顔が映っている。あたしは小さいときにもこの髪形だった。父の撮った三歳のあたし。六歳のあたし。あれから何にも変わってない気もした。