漫才は全然知らなかった
もともと僕は役者志望で岡山から大阪に出てきました。吉本興業の劇場で雑事をする進行という仕事をしながら勉強するような日々でした。吉本興業にいるものの、基本的には役者がやりたかったので、漫才は全然知らなかったんです。
そこで洋七から「漫才をやらないか」と誘われたのが全ての始まりでした。それまで洋七は2回相方を変えていて、新しい相方を探す中で、桂三枝さん、今の桂文枝さんから「これからは漫才師もルックスが大事」という話を聞いて、自分で言うのもアレですけど(笑)、見てくれが悪くなかった僕に声をかけてくれたみたいです。
そこから、おかげさまで数年間は横になって寝る時間もないような日々を過ごさせてもらいました。平日はフジテレビ『笑ってる場合ですよ!』という帯番組があって、週末は各地で営業がある。その合間に他の番組にも出る。睡眠は移動の電車くらい。夜中まで収録をやって明け方から朝まで飲む。そんな生活でした。
ムチャクチャでもありましたけど、そんな生活になるくらいお仕事をいただき、岡山の親にも仕事ぶりが見せられるくらい、たくさんテレビにも出してもらいました。親孝行もさせてもらいました。