稽古だけは誰よりもやってきた

今になっていろいろと振り返るたびに、本当に運の力を噛みしめています。僕の前に洋七と組んでいた今の「西川のりお・上方よしお」のよしおさんは大阪の出身なので、東京に行こうという洋七と意見が合わず解散になったと聞きます。ただ、僕は岡山から出てきた人間なので、大阪でも東京でもどちらでも同じという感覚があったので、洋七の申し出をすぐに受け入れました。そして、世の中がちょうど漫才ブームに向かって走っていた。

こんな流れは自分ではどうしようもないですから。ただ、これも自分で言うのはおこがましいですけど、運を引き込むもの。それがあるとするならば、稽古だと思います。

これも運なんでしょうけど、僕がお笑いの素人だったがゆえに、稽古だけは若い頃から誰よりもやってきました。周りから「お前ら、おかしいんちゃうか」と言われるくらいやってきました。だからこそ、流れが来た時にチャンスをつかめたのかもしれませんし、世に出てからもしばらく走り続けられたのかもしれません。

若い頃に比べたら、猛烈な稽古を今はやっているわけではないんですけど、それでも稽古をして舞台に立つ。この時の緊張感。これが一番楽しいんですよね。だからこそ、今でも続けているんだと思います。

…え、若い人たちへのアドバイスですか?それはね、逆にオレが教えてもらいたいわ(笑)。それがしっかり分かっていたら、もう少し売れてたかもしれんね。

■島田洋八(しまだ・ようはち)
1950年2月13日生まれ。岡山県出身。75年、島田洋七の3人目の相方としてお笑いコンビ「B&B」を結成。80年にスタートしたフジテレビ『笑ってる場合ですよ!』の司会を務めるなど、漫才ブームの中核を担う。81年に始まったフジテレビ『オレたちひょうきん族』ではビートきよし、松本竜介と「うなずきトリオ」を結成し人気を博す。83年にコンビ解散。その後、藤井洋八の名前で俳優としても活動し、映画『鮫肌男と桃尻女』などに出演。96年にコンビを再結成。

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