ラッキーな偶然で

私が漫画家になれたことはこうしたラッキーな偶然によるものだった。

しかし、いざ連載の仕事をもらったのに、またしても私の嫌な性格が作業の邪魔になった。描いている最中に頭の中で完成した作品を思い浮かべると、もうそれで満足してしまい作業のモチベーションが下がってしまうのである。

大変おこがましい対比をするが、かのレオナルド・ダ・ヴィンチ先生も、実はそういう人だった。彼が残した油彩のうち完成に至っているのは十数点と言われており、あとは構想段階で止まっているか、途中で描くのをやめてしまったものになる。

ダ・ヴィンチの研究家たちは「何か事情があったに違いない」という解釈をもとにさまざまな調査を試みているが、彼は仕上がりを見なくても制作途中で満足してしまうタイプだった、というのが私の見解である。

とはいえ、すぐそばに目を向ければお腹を空かせているあどけない子どもがいる。モチベーションだのなんだの言っている場合ではないと頑張って、漫画を最後まで仕上げられるようになった。あれから30年、本棚に並ぶ何十冊もの自分の漫画本を見ながら、母性の力というものを痛感している。

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