コロナ禍を経た日本は再び「観光亡国」への道を歩んでしまうのかーー(写真提供:Photo AC)
新型コロナで減った訪日外国人観光客も今や急回復。日本政府観光局(JNTO)によれば、2023年10月の訪日客数は、コロナ流行前の19年同月を既に上回ったそう。しかしその急増により、混雑などのトラブルが再び散見しています。「オーバーツーリズム」という言葉も今や広く知られるようになりましたが、実際その影響に悩まされている日本に足りないものとは? 作家で古民家再生をプロデュースするアレックス・カー氏とジャーナリスト・清野由美氏が建設的な解決策を記した『観光亡国論』をもとに、その解決策を探ります。

京都の魅力を損なう「オーバーキャパシティ」

京都の銀閣寺はアプローチがすばらしいお寺です。総門を越え、右手に直角に曲がると、椿でできた高い生垣に挟まれた、細く長い参道が続いています。

俗世間から離れた参道を歩くことで、これから将軍の別荘に入っていくのだ、という期待感が高まるように緻密に設計されています。

しかし現在、総門を折れて最初に目に入るのは、参道を埋め尽くした観光客の人混みです。生垣の内側に人がひしめく様子を見ると、外の俗世間の方が、まだ落ち着いているぐらいに思えてしまいます。

名所に人が押し寄せるという「オーバーキャパシティ」の問題は、世界中の観光地が抱える一大問題です。京都市内も例外ではなく、各所にそれが生じています。

たとえば20年前には、京都駅の南側に観光客はそれほど流れていませんでした。伏見稲荷大社も、境内は閑散としていたものです。しかし今は、インスタ映えする赤い鳥居の下に、人がびっしりと並ぶ眺めが常態化しています。

神社仏閣の境内には深い精神性が宿っています。神の存在を感じる神社、仏の無言の静けさに触れるお寺。その奥深さこそが京都の真髄です。それが観光に侵されてしまうと、京都文化の本当の魅力が薄れてしまいます。

ここまで観光客の数が多くなると、傍若無人な振る舞いをする人も出てきます。

伏見稲荷大社では、マナーの悪さにへきえきした門前町の店が苦情をいってきても、神社側としてはどうしようもありません。外国の小銭が入った賽銭箱は、選別するのに労力がかかるし、両替もできません。

お寺は拝観料を取ることができますので、ある程度の調整ができますが、神社の多くはそうしていません。伏見稲荷大社の観光客過剰問題は、なかなか解決しにくいものと思われます。

オーバーキャパシティがもたらす弊害は、いくつも挙げられます。が、マネージメントの方法として、入場料の引き上げ、拝観人数の制限、予約制など、打つ手もいろいろと考えられます。

たとえばアテネのアクロポリスでは、時間帯によって人数制限をかけています。京都でも西方寺(苔寺)や桂離宮などで以前から予約制度を取り入れていますが、銀閣寺をはじめ、ほとんどの寺院はまだ制限を導入しておらず、混み合いは増すばかりです。