帝国劇場としばしのお別れ(写真提供:市村さん)

じゃあ、この短い稽古期間でどうすれば新しい芝居が作れるのか。とにかくひたすら台本を読みました。家ではもちろん、どこでもずっと開いていた。

そうすると、ちょっとした気づきが出てくるんだね。テヴィエは貧しくともユダヤのトラディショナルなしきたりを重んじて生きているんだけれども、娘たちや周囲の変化によってそれまで守ってきたものが崩れていって時代に流されていく。その戸惑いややるせなさみたいなものがあるんだな、とか。

だからたとえば、牛乳を売るために荷車を引いている、セリフのないシーンでも、テヴィエの心の言葉が浮かんでくるんだよ。

「神様。疲れちまったんですよ。荷車引っ張るの。え、引くのが嫌なら押してみろ? そういう話じゃないんですけど、はい、やってみます。でも、引くのも押すのも嫌な人は、どうしたらいいんです? ……いやいや、独り言です」ってね。

もっと細かいところで言うと、台本では長女だけを紹介すると書いてあるシーンで、次女、三女、四女、末娘まで全員紹介してリアルな生活感をちゃんと出すとか。

そういうのを思いつくたびに台本に書き込んでは、稽古場に行って「ここでこう言いたいんだけど、どう思う?」と演出家に相談する。

ほら(と台本を出して)、書き込んだところはこうやって折り曲げてるんだけど、僕は芝居の何が好きかって、台本を読んでいて「ここでこういうことができる!」と考えが広がっていくところなんです。僕にとって台本は、宝物がたくさん詰まっている大きなおもちゃ箱なんだよ。