その次の日には、少し上向きとさっちゃんから報告が入ってほっとした。でも二日ほどでまた悪くなり、苦しさが増し、痛み止めの薬も強くなりと報告が続いて、あたしは東京に出た。「昨日はもっと苦しそうだった。もう終わりにしたい、さっちゃんありがとうっておねえさんがはっきり言ってくれたのよ」とさっちゃんが涙ぐんだ。
その夜、ねこちゃんちに帰って、寝たかと思ったら電話が鳴って、さっちゃんが「病院から連絡があったんです、私たちも今向かってます」と言った。動揺しているのにどこか冷静な、遠い不思議な声だった。
病室に入ったら、ねこちゃんは静かになっていた。ぜいぜいもひゅうひゅうもなくなっていた。酸素を送る機械は止められていた。部屋全体がほんとうに静かだった。あたしは静かな腕を取ってゆっくり撫でた。生きてるように温かった。
あたしは泣くこともない。ただぽかーんとしている。何週間もかけて、いろんな人に少しずつ知らせた。いろんな人が少しずつ返してくれた。少しずつねこちゃんが死んだってことを共有していった。生きたってことも共有していった。
LINEで長女のカノコが「お母さん話し相手がいなくなっちゃったけど、話したかったらいつでも言ってね」と言ったのが、鰻みたいに、心に沁みた。そのときは少し泣いた。メールで、うえのさん(上野千鶴子さん)が「肉親は理解者ではありませんが、親友は理解者ですからね」と言った。それも鰻。
『対談集 ららら星のかなた』(著:谷川 俊太郎、 伊藤 比呂美)
「聞きたかったこと すべて聞いて
耳をすませ 目をみはりました」
ひとりで暮らす日々のなかで見つけた、食の楽しみやからだの大切さ。
家族や友人、親しかった人々について思うこと。
詩とことばと音楽の深いつながりとは。
歳をとることの一側面として、子どもに返ること。
ゆっくりと進化する“老い”と“死”についての思い。