鈴と司との出会い
転職先は従業員4人のちっぽけなデザイン事務所。週に4日勤務するパートだった。給料は安いが、体のことを考えると、無理は出来ない。
麦巻の試練は終わらなかった。賃貸マンションが更新期を迎える。更新料は11万円。家賃もあるので今の麦巻には支払うのが難しく、引っ越しを決意する。
「この部屋を出るのはマンションを買うときだと思っていたんだけどなぁ」
兄と暮らす母親・惠子(朝加真由美)には助けてもらえない。それどころか叱られてしまう。
「なんで引っ越すの。だから会社を辞めないほうがいいって言ったじゃない」
麦巻は孤独感を深めていった。遠い世界の話のようで、誰もが同じような立場になりかねないのではないか。
転居先を探し始めた麦巻が不動産屋から紹介された物件が、家賃月5万円台の団地である。内見に訪れたところ、その日は風邪で頭が痛く、喉も腫れていた。
そんな麦巻を見て「あら大変」と心配したのが、隣室に住む大家・美山鈴(加賀まりこ)である。自室に飛んで帰った。風邪薬でも持って来るつもりか――。
麦巻は鈴の振る舞いに顔をしかめる。不動産屋に「大家さんが隣ですか。人との距離が近い生活はちょっと・・・」と訴えた。
自己責任社会を生きる現代人は他人の干渉を嫌うから、麦巻がこの部屋を避けようとしたのは不思議ではない。まして麦巻は身近な後輩に裏切られたばかりなので、余計に他人と距離を置きたかったのだろう。
麦巻が次の物件の内見に移ろうとしていたところへ鈴が戻って来る。手にしていたのは風邪薬ではなく、大根の切れ端。鈴は麦巻にそれをかじるように促し、効用を得意げに説いた。
「大根は喉の炎症を和らげるでしょう。鼻の辺りにも効いて、頭痛が治っちゃうの」
だが、麦巻は不動産屋に促され、その場を立ち去ろうとする。鈴は大根を手にしたまま、悄然と立ち尽くす。見ていられなくなった麦巻は大根をかじる。やさしいのだ。これが人生の岐路になる。