ここでどちらを選ぶのかは、人によってそれぞれなのでしょう。仕事、家族の状況や自身の価値観などにより、判断は変わってきます。では、65歳の「私」はどうしようか。かなり考えました。80歳まで生きるとしたらあと15年くらい。そう考えると、残りの時間は案外短い。

担当医の説明では、手術をすると、泳いだり、肩までお風呂につかったりもできなくなるとのこと。匂いも感じなくなると言われました。さらに、うどんがすすれなくなるらしい。友達にはうどんのことはどうでもいいと言われましたが、関西人としては重要なこと。(笑)

そういう、生活に制約のある15年を生きるか、もしくは短くなってしまっても、今まで通りの生活をなるべく続けたいのか。自分で自分の人生をプロデュースするとしたら、後者を選びたいわと思ったのです。

病院には一人娘と、現場マネージャーである姪が付き添ってくれていました。医師の説明を聞いて、姪は手術してほしい、と。娘には「ママの人生だから、ママが決めるべきだ」と言われました。そこで、じっくり悩んで、翌日、医師に伝えたのです。

「先生、化学放射線療法にかけてみます。大丈夫。きっと私には効くと思います」

この根拠のない「私は大丈夫」という自信。もともと名前の通り、暢気なんです。なんとかなるわ、と思っていました。よく言うじゃないですか。コップにお水が半分入っていたとき、「半分しかない」と考えるか、「半分もある」と考えるか。私は後者です。

だから、医師に「5年生存率は約30%です」と聞いたときも、生存率が10人中3人なら、私は3人に入るはずと根拠なく信じていました。そもそも30%って結構高くない? 野球で3割打ったら首位打者よ、なんて。

<後編につづく

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