吉宗の出世と共に運が開けた父・意行
田沼家の当主で事跡が明らかなのは、意次の父の意行(1686~1735)からです。
言い換えると意次のおじいさんまでは、田沼氏が何をやっていたのか、とんと見当が付かない、というのが本当のところです。
ともあれ意行は、紀州藩主になる可能性すらほとんど無かったころの徳川吉宗(当時の名は松平頼久)に仕えました。
享保の改革を主導したとされる吉宗は、現在ではドラマ『暴れん坊将軍』の主役としても有名ですよね。
ここから吉宗が奇跡のような出世を遂げ、意行の運は開けます。
たまに見かけますね、このパターン。有名なところだと『神皇正統記』で有名な北畠親房。
彼の家祖は村上源氏の中院家の庶子でした。日陰の身だったのです。そして玉座とは縁遠い、これまた日の当たらぬ存在であった邦仁王に仕えていました。
ところが運命のいたずらで邦仁王は後嵯峨天皇として即位し、すぐれた手腕を示して朝廷の実権を掌握します。この動きにつれて北畠の家も貴族として躍進し、大覚寺統(南朝)の柱石へと進化していったのでした。