「小さいころから、歌舞伎が大好き。パパはカッコイイと思う」(右近さん)

歌舞伎は毎日ハロウィン!

──右團次さんは日本舞踊の家元の長男として大阪で生まれ、6歳から本格的に日本舞踊を始めました。舞台に立つ姿を見た松竹のプロデューサーから歌舞伎の子役を勧められ、8歳の時、京都の南座に出演。後に師匠となる三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さんとの運命的な出会いで、人生が大きく変わったそうですが……。

 『義経千本桜』で師匠が狐忠信を演じるのを見て、ファンタジーを感じたんだ。親狐の皮で作られた鼓の音を慕う子狐が、義経の家来に化けて、桜の降りしきる吉野の山を、その鼓を持つ静御前と一緒に義経に会いに行く――。乱世のなか、義経は実の兄に命を狙われるのに対して、狐は獣ながら親子の深い情愛を持っている。そして最後は鼓が授けられ、喜んで空を飛んでいく。もう、ファンタジーそのものでしょう。――君も好きなんだよね。

 はい。狐忠信、やりたいです!

 あの演目は、子どもの心を打つんですね。大人になると、「古い言葉で何言っているのかわからない」とか敬遠しがちだけど、子どもは感性を全開にしてビジュアルで感じるから、楽しいんでしょう。歌舞伎は、人ではないものが出てきたり、神様になったり、いろいろなものになれる。すごく夢のある世界だと思う。

 歌舞伎は毎日ハロウィン!

 うまいこと言うねぇ。僕もそういうところに憧れて、中学1年で、親元を離れて東京の師匠の元に行く決心をした。今思えば、親も偉いと思います。僕にはとうていできない。君が僕と離れて一人で大阪に行くとか言い出したら、うろたえますよ。自分が子どもを持って初めて、親の気持ちもわかった。

 そうなんだ。

 ただ、中学1年生といえば、まだまだ子ども。やっぱり寂しいし、大学を卒業したら親元に帰ろうかな、とも考えた。父の後を継いで日本舞踊家になるのか、歌舞伎俳優になるのか、自分でもわからなかったし。でも中学3年の時、父が師匠に「中学で家を出した時点で、ずっとお預けするつもりでした」と言ってくれて――父は腹をくくっていたんですね。それで師匠が「一生、お預かりします」と言ってくださった。


──右近さんは昨年、ドラマ『ノーサイド・ゲーム』で主人公の息子役を演じました。ドラマのオーディションでは、ちょっと笑えるエピソードもあったとか……。

 最終選考の日は、心配だから僕が車で送っていったよね。でも会場に行ったら悪いかと思って、駐車場で待っていた。そうしたら監督から電話があって、君に決まった、と。「ただ、台詞がちょっと歌舞伎みたいになっているんです」と言われて(笑)。うちで練習する時、僕が教えたからでしょう。僕はもう、教えちゃいけないと思って。この先は台詞だけ覚えさせて、「あとは監督の言うことをききなさい」と言いました。

 ドラマの現場は、楽しかったです。まわりの役者さんたちも、すごくやさしかったし。

 子どものうちにドラマに出るのも、いい経験になるからね。歌舞伎は様式美が大事で、型がある。だから型ができなければ話にならないけれど、かといって型だけできてもしょうがない。やはり心理面がついていかないと、お芝居にならないから。

そういう意味において、ドラマで学ぶことは多い。パパもけっこうドラマに出ているけれど、君はすぐ、パパが共演している女優さんに会いたいって言うね。『監察医 朝顔』で共演した上野樹里さんにも会いたかったんだよね。その前は石原さとみさんに会いたいって。

 うん、会いたかった。