突然始まった、つぶ子の介護
今から6年ほど前、つぶ子が急に痩せてきたので病院に連れていったら、甲状腺機能亢進症だと判明。投薬治療を続け、徐々に体重も回復してきました。ところがそれから3年ほど経った頃、再び痩せてきたので検査をしたら、糖尿病も併発しているとわかりました。
さらにその後、CT検査で腎臓に影が見つかり、腫瘍が疑われて。ただ、その時点で15歳を超えていたので、全身麻酔はリスクが高いし、手術は体の負担が大きすぎる。結局、腫瘍は残したまま、対症療法を続けることになりました。
インスリン注射のほか、腎臓の循環をよくするため、1日に2回、輸液を体内に入れることに。いわゆる点滴ですね。どんどん食が細くなっていきましたが、食べないと血糖値が下がりすぎてインスリンが打てなくなるので、あの手この手で食べさせました。
マグロのお刺身を買ってきて、オイルをかけて蒸したり。鰺を生では食べてくれなかったけれど、揚げたら食べてくれたことがあります。でも食欲に波があり、翌日は、もう食べてくれない。療養食をフードプロセッサーで滑らかにし、針のない注射器から口の中に入れる強制給餌も行いました。
体重が10g増えたといってはホッとし、今日は食べてくれないといっては落ち込む。そんなふうに一喜一憂を繰り返すのは、精神的につらかったですね。最近ではペット保険もありますが、病気が判明した時点では入れなかったため、治療費がかさんで。注射や検査などを合わせると、毎月6万~7万はかかっていたでしょうか。
先生から、「いつ何があってもおかしくない」と言われてから、つぶは1ヵ月頑張ってくれました。最後の頃は、ずっとリビングルームの床で寝ていたので、私もリビングのソファで寝ていました。知らない間に一人で逝かせるのは、嫌だったから。
つぶは病気になってからも、八ヶ岳の別荘に行くとなぜか元気になるんです。ですから、いっそ最期の時間を別荘で静養させよう、と考えました。出かける日の朝、車に乗せたのですが、つぶは車内で眠るように亡くなりました。でも、ずっと私が横にいて、触ってあげることができたので、よかったと思います。
覚悟ができていたとはいえ、今こうして思い出すだけで、泣きたくなりますね……。猫を「子どもみたいな存在」などと言うのはイヤでしたが、やっぱり子どもみたいな存在だし、絶対的に自分が庇護する対象です。もっと私にできることはなかったのか。病気を回避できなかったのか。つぶはきっと、「何があっても、父ちゃんと母ちゃんがなんとかしてくれる」と思っていたでしょう。それなのに、私たちにはどうすることもできない。理不尽でなりませんでした。
見送る気持ちは、猫であれ人間であれ、同じ部分があります。母に対しても、最後の1年は同居したし、自分はやるだけのことはやったと、亡くなった当初は思っていました。でも今になると、「ああもできた、こうもできた」という悔いが湧いてくる。もっとこんなふうに言ってあげればよかった、若い頃の話も聞いておきたかった、という思いもあります。
父とも、もっとたくさん小説の話をしておけばよかった。当時は自分の作品に自信が持てなかったので、父から小説の話をされると、適当にはぐらかしていたんです。今だったら、もっとあれもこれも話せるのに──。
私にとって死とは、「取り返しがつかない」こと。今でも悔やむことばかりです。