メディアを巻き込んだ劇場型犯罪

青木 オウム事件よりも前でいうと、昭和最後の年から平成の最初の年にかけて起きた、宮﨑勤の東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件も忘れがたい。僕は当時大学生でしたが、森さんは宮﨑事件の取材はされたのですか?

 公判中に取材しました。ビデオや漫画が山のように積み上げられた様子が世の注目を浴びた宮﨑の部屋へも行ったし、親戚まわりや近所への聞き込みもやりました。家は東京のあきる野市のほうでしたっけね。

青木 ええ。事件は埼玉と東京にまたがって発生しました。赤色の乗用車に乗ってあの辺りをまわり、女の子を見つけてはいたずらし、殺害していたとされています。

 この事件では精神鑑定のあり方も話題になりましたね。日本では精神疾患などによって責任能力がないと認められれば、裁くことはできない。こうした制度に関して、被害者遺族としては割り切れない思いも持つでしょう。

青木 ただ、刑事責任能力がなければ罪に問わないのは近代刑事司法の大原則です。宮﨑事件の裁判ではかなり強引に責任能力を認め、すでに死刑も執行されましたが、真相は果たしてどうだったか。

 そうですね。そこは確かに問題です。ただ、完全にすべてが解明される事件というのは、決して多くない。どこかに、未消化で理解不能な部分が残るほうが普通です。それから、こうした猟奇的な事件の場合は、家庭環境よりも生来の気質が影響していることが少なくないような気もします。いつの時代にも、犯罪と親和性の高い気質の人は一定数いるのではないかと思うのです。

青木 宮﨑事件は劇場型犯罪という側面もあります。彼は「今田勇子」と名乗って新聞社などに犯行声明を送っていた。メディアが犯罪の舞台ともされたわけです。宮﨑事件の少し前に起きたグリコ・森永事件も、朝日新聞社の阪神支局などが襲撃された一連の赤報隊事件も、やはり犯行声明などを通じてメディアを巻き込んだ劇場型犯罪でした。

 グリコ・森永事件が昭和60年、阪神支局襲撃をはじめとする一連の赤報隊事件が昭和62年から平成2年にかけてですね。

青木 つまり、ほぼ同じような時期にそれまでの事件のスケールを塗り替えるような劇場型犯罪が立て続けに起きた。同時にそれは、メディアの事件報道のあり方が問われた時代でもあったと思います。