オウム事件が残したもの
森 平成を振り返ってもっとも印象に残る事件といえば、やはり一連のオウム真理教事件でしょう。高学歴の若者たちが麻原彰晃という教祖に洗脳され、巨大な模擬国家のような組織を作ってテロを行った。さまざまな要素を含む特殊な事件です。
青木 戦後最悪級の組織犯罪なのは間違いありません。僕は1990年に共同通信社に入りましたが、最初に取材した大事件がオウムでした。89(平成元)年に坂本堤弁護士一家殺害事件、94(平成6)年に松本サリン事件が起きる。翌年の元日に『読売新聞』が一面トップで「上九一色村でサリン残留物を検出」とスクープを打ちます。
森 あの報道からガラッと局面が変わりましたね。僕はその頃、『週刊新潮』の記者をしていました。松本サリン事件では当初、第一通報者の河野義行さんが犯人と目されていた。長野県警もずっと河野さんが犯人だと信じていたわけです。結果的には我々を含めてマスコミも恥ずかしい間違いを犯してしまった。当時はかなり情報が錯綜していた印象があります。
青木 94年末から「来年はオウムの年だ」という情報は流れていたのですが、95(平成7)年は大変な年でしたね。1月17日に阪神・淡路大震災が発生し、一方で3月20日には地下鉄サリン事件。以後の約半年間、新聞の一面トップは毎日オウム関連ニュースで埋め尽くされます。僕は警視庁の公安担当記者としていずれも取材しましたが、月の残業は300時間ほどに達しました。
森 僕も似たようなものです。あまりに激務が続いたため、事件が終わる前に働き過ぎで亡くなってしまった公安関係の知人もいました。
青木 そのオウム事件も2018年、麻原を含む元幹部13人の死刑が執行されました。異例の大量執行だったうえ、警察の捜査ミスを含めた事件の真相がきちんと解明されたとは言えない中、こんな形で幕引きを図ることに僕は到底納得できません。
森 僕自身は死刑制度があり、刑が確定した以上、執行はやむをえないと思います。とはいえ確かに未解明の部分が残っているので、これですべて終わらせていいということにはならない。たとえば幹部だった村井秀夫がマスコミ関係者の目の前で刺殺された、95年の村井秀夫刺殺事件は衝撃でした。
青木 なぜ村井は殺されたのかも謎です。おそらくは一連の事件のキーパーソンだったからでしょう。
森 そうでしょうね。村井は教団のナンバー2で、暴力団との接点も間違いなくある。いろいろ証言も出ているのですが、捜査はそこまで及ばず、中途半端に終わっています。
青木 地下鉄サリン事件と同じ年の3月30日に起きた國松警察庁長官狙撃事件も、オウムの犯行だと決めつけた公安警察の捜査が迷走した果てに、未解決で時効を迎えています。内実は警察の失態だらけでした。若干同情できる点があるとすれば、一種の思想警察である公安が宗教に踏み込んでいくことへのタブー感が当時はまだあったこと。逆に言うと、オウム事件以降はそういうタブーもなくなってしまいました。
森 そうですね。いずれにせよ複数の犯罪が絡んだ、戦後事件史の中でも特筆すべき大事件となったのは間違いありません。