玄関を開けると正面に、二階へ通じる広い階段があり、子どもたちは朝、その階段を駆け足で下りてきて、「行ってきまーす」と学校へ向かう。最後にパパが現れて、ママのほっぺたにチュッとキスをすると、「バーイ」と会社へ出かける。当時のママは専業主婦で、ふわりと広がるスカートをはき、その上にレースのついたエプロン姿で玄関にて家族全員を送り出すのが日課となっていた。
一階の居間には必ず大きなソファとテレビが置かれ、ダイニングルームには細長いテーブルが鎮座ましましていた。台所は階段に沿って奥に進んだ家の裏側にある。台所の片隅に網戸ドアのついた勝手口があり、子どもたちはママに相談事があるとき、たいていその勝手口から入ってきた。
『パパ大好き』には、パパと相談するお決まりの場所があった。それは玄関を入ってすぐ隣の小さな窓の下にある、作り付けの小さなベンチ。子どもが悩んでいるとパパはいつもそのベンチに子どもを座らせて相談に乗るのだ。
大人になってもし家を建てるとき、私は台所にバネで開閉する網戸ドアのついた勝手口と、玄関横の窓の下に小さなベンチを置こうと決めた。それが私の夢だった。
当時は番組を録画できなかった。一度、観たら二度と観られない。そう知ってか知らずか、子どもは画面を食い入るように凝視した。
あまり子どもたちがその箱に夢中になりすぎて勉強がおろそかになっては困るから、親は皆、自分のワクワクを押し殺し、教育的見地から視聴規制をかけたものである。
「テレビばっかり観ていると、今にシッポが生えてくるぞ」
「ご飯ですよ。テレビを消しなさい!」
チャンネルの権限はどの家庭でも基本的には大黒柱である父親にあった。なにしろテレビは一家に一台しかない。父が野球を観ている間、いかに他局のアニメ番組を観たいと思っても、子どもは我慢するしかなかった。だから父が留守の日は嬉しかった。今日は自由にテレビを観られる。とはいえ、相変わらず食事中にスイッチを入れることはできなかったし、二十一時以降の番組や大人向けと思われる怪しいドラマなどを勝手に観ることは許されなかった。