<天下一の補佐役>豊臣秀長の目線で歴史をダイナミックに描く、夢と希望の下克上サクセスストーリー・大河ドラマ『豊臣兄弟!』(NHK総合、日曜午後8時ほか)。ストーリーが展開していく中、戦国時代の武将や社会について、あらためて関心が集まっています。一方、歴史研究者の本郷和人先生がドラマをもとに深く解説するのが本連載。今回は「信長の撤退」について。この連載を読めばドラマ本編がさらに楽しくなること間違いなし!
「逃げ戻ってきた説」への違和感
越前の朝倉義景攻めに失敗した織田信長は、京都へ戻った――。
一般にはそのように説明されます。
しかも多くの場合、「ようやく京都に帰り着いた」「這々の体で帰ってきた」、もっと極端に言うと、「ほんのわずかな馬廻りのみを連れて、逃げ戻ってきた」というニュアンスが付随して語られがちです。
実際に、第十四回「絶体絶命!」では、敵の目を欺くために馬を捨て、険しい山道を越えて京へ向かい、傷だらけの姿で義昭のもとへたどり着く信長の様子が描かれました。
しかし、この理解には違和感があります。
第一に、この時点の京都は、例えば岐阜や清洲のような、信長の「ホッと一息つける拠点」ではありません。
将軍足利義昭を擁してはいるものの、京都は依然として流動的な政治空間であり、言ってみればニュートラルな都市です。
治安維持を司る機能が喪失したとき、罰せられることを恐れない庶民ほど怖い者はない。
それは、徳川家康が本能寺の変の後に命からがら三河へと逃げ帰った「神君伊賀越え」の危険性を想起すれば明らかです。
