そんな時代がどれほど続いたのであろう。テレビへの憧れは、いつしか「観る」に留まらず、「自分も出たい」に膨らんでいった。そしてテレビ局に勤める人々は、そういう願望強き一般人を自在に動かすことのできる「お鼻たかだか」商売になっていった。
二十代の半ば、私は突然、さる民放テレビ局から連絡を受けた。用件は、「音楽番組のアシスタントになってもらえませんか」という唐突な依頼だった。とりあえず一度、担当の方とお会いしようと思い、テレビ局の喫茶室に赴いた。そこには二人の男性プロデューサーが待機していた。一人はよく喋る人、もう一人は黒眼鏡をかけてずっと黙っていた。おおかたの説明を受けたあと、よく喋る人が中座した。すると残った眼鏡氏が初めて口を開いた。
「結局あんたもテレビに出たいんでしょ」
言われた私は仰天した。別に私はそんなミーハーな気持でここに来たわけではない。そう言い返したかったが、言い返せなかった。心の奥に潜む自らのミーハー心を見透かされた気がした。テレビマンは横暴だ。偉そうだ。腹を立てることで恥ずかしさをごまかした。
その数年後、結局、私はテレビ業界で働くことになる。テレビに出たことがきっかけで活字の仕事のチャンスも舞い込んだ。結婚するしか親離れをする手立てはないと考えていた私が、こんな仕事人間になるとは思いもよらなかった。もはやテレビの面白さも、華やかさの裏に潜む実情もそれなりに知った。が、最初にテレビの仕事へ導いてくださったプロデューサーへの恩義を忘れることはできない。
誰もが夢中になったテレビは今やその地位をネットに奪われた。若い人たちはほとんどテレビを観ないという。観るとしても録画。それも早送りをして観るのだとか。通常のスピードでは時間がもったいないらしい。そんなに急いでどこへいく。
「食事中ぐらい消しなさい」という親の叱責の対象は、テレビでなくスマホに移ったかのようだ。いや、スマホをテレビと比較されても困ると言われるかもしれない。なにしろスマホは娯楽のみならず、手帳にも財布にも電話にもパソコンにもなっているのだから。そんな万能ツールに誰が夢中にならずにいられようか。私たちの世代がテレビに心を奪われた以上に、今の子どもたちはスマホがなければ生きていけない気分にちがいない。でも、そんなことでいいのだろうかと、テレビ世代アナログ族である私は、ときどき不安になる。
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり。
ふと、その言葉が浮かんでくる。
最新刊『レシピの役には立ちません』が好評発売中
このまま食べたら危険!? 読んで美味しく、(作って)食べても旨い極上の料理エッセイ誕生!
珍しく父に褒められるからと、台所仕事をするようになって60年余。ケチだけど旨いもの大好きなアガワが立ち向かう、新たな食材、怪しい食材、そして腐りそうとおぼしき食材……。
料理に倦んだひとが今日もまた台所に立ち向かう元気がふつふつ湧いてくる名エッセイ誕生! でも、ちゃんとした料理人はあまり真似しないでね。
人気連載エッセイの書籍化『老人初心者の青春』発売中!
古稀を迎えても好奇心は衰え知らず。若いうちが花? いえいえ、我が青春は、今なり! アガワさんの人気エッセイ、シリーズ第4弾。