
※本記事は『婦人公論』2025年3月号に掲載されたものです
この歳になってありがたいことながら、なんだか仕事が増えている。本当は七十歳を過ぎたあたりから仕事を減らしてゆったりのんびり日々を送りたいと思っていた。
そもそも組織に勤めたことのない私のような人間は、自分の引き際を測りにくい。親も、もの書きという商売をして他人様からの注文をひたすら待つ身であったから、そういう生活に慣れていると言えばそうかもしれないが、いざ自分がこの年頃になってみると、どこで区切りをつけたものかと思い悩む。
と言いつつ、実はさして思い悩んでもいない。もともと長期的な人生設計のできない性分である。長くて一ヶ月、普段は一週間単位でしか先のことを考えていない。なんとか今週を乗り切ろう。そう思って目の前のことに専念するうち、あっという間に一週間は過ぎ、寝て覚めてみれば新たな一週間が始まっているといった具合である。
その合間に新しい仕事の依頼をいただく。うーんと唸ってしばし考え、せっかく必要としてくださっているならばと、つい引き受ける。もちろんお断りすることも多々あるけれど、気づいてみれば、仕事の数が増えているといった次第。
「結局、あなたは仕事が好きなのよ」
忙しい忙しいと愚痴を言うと、たいていの友達はそう答え、自業自得だと笑う。
いったい私は仕事が好きなのか。あちこちで吐露していることだが、私は文章を書く仕事を、大切だとは思っているが、「大好き!」と感じたことは一度もない。『聞く力』なんぞという新書を偉そうに出しているけれど、インタビューを楽しいと思ったこともほとんどない。もちろん、お相手に面白い話をしていただいて、機嫌良くお帰りいただいた瞬間は「嬉しい!」と思ったり達成感を味わったりするが、その段階に至るまでの下調べや、お会いして質問し始めたあたりの緊張感はたとえようもなく苦しい。テレビの進行役はさほど苦痛ではないが、自分が映っている番組を観ると、いつも「げ、ババアだ」と悲しくなる。メイクさんやスタイリストさんのご努力には感謝しつつも「ババアになったもんだ」と痛感する。