アート・ブックギャラリーや音楽工房もある

 

「そこには、住民が困ったときに連絡できる緊急通報や、住民同士が助け合うセーフティネットの仕組みがあった。そのうえ、居室以外にも集会室や図書室、今で言う『暮らしの保健室』やお店など、私が望んでいたことが詰まっていたんです。

早速、まちの中の『小さな共同体』と呼ばれていた『シニアハウス大松』を作った高橋さんに自分たちのシニアハウスを作りたいと相談。

30代後半だった私は、高橋さんが立ち上げた生活科学研究所(現・長谷工シニアウェルデザイン)に入社して、高齢者住宅やコミュニティ創成の仕事をすることになりました」

1988年、近山さんはまず大阪の「シニアハウス新町」(現・ブランシエール新町)に着手。障害を持つ母と、働きながら母を介護する娘の自分をモデルに構想した。

「二人がそれぞれ自立し安心して暮らせる場を実現したかったんです。そこで、民間初のデイサービスセンターを併設。今で言うサ高住に、鍼灸などの統合医療施設と喫茶店なども備えました。

この経験から、一人でも高齢でも障害を持っていても、自分らしく最期まで生きられる場を作ることは、私と同じように困っている人が助かることだ、と気づいたんです」