大友家と島津家の例

公家の世界では、『尊卑分脈』という系図が共有されていました。南北朝時代には成立していて、都度つど改定され、公家の系統の基本資料となっています。

但し武家については記載されていない家がたくさんある。

え、これほどの名家なのに、という由緒も歴史もある家がまるで無視されていたり、記載はされていても信用できぬ情報が多い。

たとえば戦国時代に九州の覇権を争った、大友家と島津家。

大友の初代は鎌倉時代初めの能直。彼の実父はさほど有力ではない近藤能成という武士なので、氏は藤原だと考えられる。一方、島津の初代は忠久で、その実父は下級貴族の惟宗広言という歌人です。氏はもちろん惟宗氏。

ところがこの二人、『尊卑分脚』を見ると、いずれも源頼朝のご落胤と記されている。しかも戦国時代は、両家ともに、「うちは源氏です」と堂々と内外に明言している。

ぼくは長いあいだ、単なるインチキだと思っていましたが、最近になって、背景にそれなりの理由があったことが分かってきました。ここでの詳しい説明はひかえますが、いずれも“ウソ”であることは間違いありません。