娘が追い出されることのない学校を

ふたつの言葉については、『窓ぎわのトットちゃん』や『トットひとり』などに書いたり、いろんなインタビューや番組なんかでも喋ったりしてきたことだけど、もちろん知らない方もいらっしゃるだろうから、手短かにでも紹介しておきたい。

私は小学1年生のときに、両親が学校の先生に呼び出され、「お嬢さんは、チンドン屋さんを校庭に呼び込んだり、窓のところに巣を作ったツバメと大声で話そうとしたり、ずっと動いているか、喋っているかで、本当に落ち着きがなくて、ほかの生徒さんに迷惑ですから、どうかお引き取りいただきたいんです」と言われて、退学になった。

『トットあした』(著:黒柳徹子/新潮社)

そんな私のために、父と母は「娘が追い出されることのない学校を」とあちこち懸命に探してくれ、自宅のある洗足池から東急大井町線に乗って数駅の、自由が丘にあったトモエ学園を見つけてきてくれた。そしてトモエ学園は、ほかの小学校で問題児扱いされ、退学になった私を、よろこんで受け入れてくれたのだ。

トモエ学園に初登校した日、私は校長先生の小林先生と4時間、話をした。べつに時計を見ていたわけじゃないけど、朝、学校へ行って、話が終わったら、とっくにお昼ごはんの時間になっていたから、たっぷり4時間は話していたのだと思う。

「話をした」といっても、ほぼ一方的に、私が喋っていた。私にとって、小林先生は、家族以外で自分の話を真剣に聞いてくれた、はじめての大人だった。目の前のこの人が好きだ、この人はすごくいい人だ、私の話すことを何でもきちんと興味を持って聞いてくれる、でも私が喋るのをやめると、この人との関係はなくなってしまうんじゃないか──そんなふうに、あせりながら、私は喋りつづけていた。

それまでも、それ以降も、人生であんなに、あせったことなどなかったと思う。とうとう、4時間たって、喋ることがなくなったか、おなかが空いて疲れたかして、私は口をつぐんだのだけれど、小林先生との関係が終わることはなかった。幸いなことに、それは始まりだった。