社会性のない言動の原因は……

下を通りかかった近所の住人が、空から何か汚いものが降ってきたので上を見上げると、ゴミ箱を持った老婆が鬼のような形相でにらんでいた。住人が文句を言うと烈火のごとく怒り、「うるせー、文句あるか。何をしようと私の勝手だろ」と怒鳴り散らす。さすがに耐えかねた近所の住人から区役所へ苦情が寄せられ、困り果てた地域包括支援センターのケアマネジャーが「認知症かもしれない」と、私の外来にその老婆を連れてきた。

しかし、その老婆は、「私はどこも悪くない。なんだよ、こんな知らない病院に連れてきて。誰か、助けてくれー。誰かー」と病院の廊下で叫び、診察室へ誘導しようとして腕をつかんだ看護師の手に噛みつく始末だった。

『2030-2040年 医療の真実-下町病院長だから見える医療の末路』(著:熊谷頼佳/中央公論新社)

この女性は「前頭側頭型認知症」が疑われ、まずは、認知症によって起こっている暴言・暴力、不潔行動などの精神心理症状と行動障害(BPSD)の治療を開始した。そして、何とかなだめて血液検査をしたところ、貧血と極度の栄養失調に陥っていることが判明した。栄養がかなり不足しているために、体がバランスを取ろうとして肺の周りに胸水がたまっていたから、そのまま放置されていたら餓死する恐れが高い状態だった。近所迷惑な行動を取ったおかげで命拾いしたわけだ。

BPSDと栄養失調の治療をしたら表情が柔和になり胸水も消失して、外来診療のときには冗談を言って笑うようになった。数年間続いていた近所の人とのトラブルも嘘のようにおさまった。最初に来院したときに暴れて診療拒否していたときの鬼の形相とは別人のようになり、最後の外来となった日には、「先生、やっぱり人間は、健康が一番だよね。ハハハハハ」と豪快に笑いながら帰って行った。社会性のない迷惑行為や暴言は、本人の性格から来ているのではなく、病気のせいだったのだ。