有名人の私生活を覗きたいという願望はどこの国でも共通に存在するけれど、その関心の内訳は国や宗教観によって差異を感じるとマリさん。イタリアで出版されているゴシップ誌は多くなく、日本ほど著名人がお手本的なイメージを求められない理由は――。(文・写真=ヤマザキマリ)

日伊ゴシップ考

今から65年ほど前のイタリア映画『甘い生活』には、“パパラッチ”の原型と言われるゴシップ報道の専門カメラマンが登場する。パパラッチという言葉はハエや蚊の鬱陶しい羽音を表している言葉だが、彼らは嫌われながらも、人類がゴシップから意識を背けられない心理をよく知っている。

『甘い生活』で描かれているように、イタリアでも有名人の私生活はパパラッチにとって格好のネタとなる。影響力がある人物のゴシップほど良い報酬になるから、彼らは執拗に有名人の周りを彷徨(さまよ)っている。

しかし、こうしたゴシップに人々が抱く関心の内訳は、国や政治的背景、そして宗教観によって差異があるように思う。例えばイタリアで出版されているゴシップ誌はわずか数冊のみで、ページ数も少なく、需要も決して大きいとは言えない。

私の周りを見る限り、どんなゴシップもせいぜい人から聞いた噂を広めて暇つぶしをする程度の楽しみしかもたらしていない。有名でお金持ちでありながら自分たちと変わらない生き方をしている彼らの側面を、覗き穴から覗いて喜んでいる感覚だ。