そして日本では
かたや日本における著名人達は、人としてのお手本と見做される傾向があるように思う。才能や容姿に恵まれた彼らは、希望と生きがいを与えてくれる存在として、支持者を支える。たくさんの人々を魅了する力を持った人間は尊ばれ、普遍性を求められるようになる。
そもそも人類史においても、エンタメと宗教の出所が同じであることを踏まえると、なんら不自然なことはない。
だからこそ、彼らの思い描いている偶像と違う行動を取った日には、その制裁も容赦ない、ということなのだろう。
かつてボブ・ディランがそれまでのプロテスト・フォーク路線からロックに転換したとき、ライブに集まった彼のファンが激昂した。彼らはディランへの信望と敬意が本人によって蔑ろにされたような気持ちになったのだ。
海外でも人気があまりに高い場合はこうした現象も起こりうる。人々は崇拝対象に自分たちが抱いているイメージ以外の振る舞いや猶予を与えはしない。
今日もまた、ネットは誰それがどうしたこうしたという記事で賑わっている。
『歩きながら考える』(著:ヤマザキマリ/中公新書ラクレ)
パンデミック下、日本に長期滞在することになった「旅する漫画家」ヤマザキマリ。思いがけなく移動の自由を奪われた日々の中で思索を重ね、様々な気づきや発見があった。「日本らしさ」とは何か? 倫理の異なる集団同士の争いを回避するためには? そして私たちは、この先行き不透明な世界をどう生きていけば良いのか? 自分の頭で考えるための知恵とユーモアがつまった1冊。たちどまったままではいられない。新たな歩みを始めよう!