自分で決めたルールでボロボロに疲れ果て
安藤 30代半ばまでお父さまに縛られていた桜木さんとは逆で、私にとって父は幼い頃から遠い存在でした。大正生まれで仕事一筋。平日は仕事、休日はゴルフ、家族で遊びに出かけることもなく、かろうじてミカン狩りに行ったのが唯一の思い出です(笑)。私には9歳上の姉と5歳上の兄がいますが、末っ子の私は父から怒られたことが一度もありません。
桜木 ポジションも、親のスタンスも逆とは――。
安藤 私は26歳まで実家暮らしでしたけど、父は常にガラスの壁の向こうにいるような感覚。そんな父が、70代で母と2人だけの暮らしになったら、別人のように変わってしまったの。
桜木 どんなふうに?
安藤 その頃から母が認知症を発症し、家事が満足にできなくなっていたんです。でも、父は子どもたちに知らせなかった。それまで家事とは無縁だった父が、毎朝トースターでパンを焼き、自分にはレモンティー、母にはミルクティーを淹れ、母のパンにはマーマレードまで塗ってあげて。
子どもに迷惑をかけたくなかったんでしょう。そんな父の姿を見たとき、腰を抜かすほど驚いたと同時にかわいそうになっちゃって。
桜木 私は父が家事をしている姿を見ると、「やるじゃ~ん」って思います。(笑)
安藤 うちの姉もそうでした。私は父が気の毒で仕方なかったのに、不思議と姉は冷静で。
桜木 長女と次女の違いでしょうか。長女の私は、「そのとき」が来るまではじっと銃後に控えている感じ。親に対しての気持ちって、愛情より先に責任があった気がする。
安藤 私はすぐ最前線に飛び出していっちゃう(笑)。母が認知症を発症した少し後に父がすい臓がんになって入院したときも、いきなり距離を縮めてしまった。当時、私は平日夕方生放送のニュースでメインキャスターを務めていました。
放送を終えたらすぐ車に飛び乗って、千葉県松戸市の病院まで片道1時間半かけて通っていたんです。父が亡くなるまでの半年間、毎日。
桜木 ええ! それって誰かに頼まれたとか?
安藤 父にもきょうだいにも頼まれていません(笑)。毎日面会時間ギリギリの夜8時に駆けつけ、父が翌朝目を覚ましたとき寂しくないように、スケッチブックに「おはよう」「気分はいかが?」なんてメッセージとイラストを書き残して。
自宅に戻るのが0時過ぎで、次の日はまた生放送。週末は泊まりがけで埼玉県の実家に行き、母のために1週間分の常備菜を作り置きして帰る。そんな生活を続けていたら心身ともにボロボロになり、7kgも痩せました。