桜木 そりゃあ痩せますよ。周りの反応はどうだったんですか。

安藤 姉は平日の昼間に顔を出したりしていましたが、兄は滅多に行かず、私は腹を立てていたんです。私、大晦日に父の病院で一人シクシク泣いたんですよ。「年越しの夜に父をひとりぼっちで病院に置いておくなんて、なんて冷たいの?」って。

桜木 ごめんなさい、失礼を承知で言っちゃうんですが、病院に毎日通うというのは、安藤さんが決めたルールなんですよね。

安藤 ……言われてみれば、そうかもしれません。お舅さんやお姑さんと同居していた姉は、何かとやるべきことがたくさんあったんだと思います。

桜木 きょうだいとはいえ、家族の単位も感覚も違いますよねえ。私の場合、まずは自分の生活を守らないと、親の心配もできないんですよ。

安藤 なるほど~。当時、この話を桜木さんとしておきたかった(笑)。そうすれば、あれほど無茶な日々は重ねなかったかもしれない。父が亡くなった後も、平日は姉が、週末は私が母の家に通い続けていましたから。でも、そんな生活を送っていたのは、自分が勝手に決めたルールに縛られていたからなんですね。

桜木 ごめんなさい! 私、ものすごく生意気なことを言いました。

安藤 とんでもない。今、目が覚めました。多分、私は両親にとって“いい娘”であろうとしたんです。とくに父は遠い存在だったからこそ、晩年に親子の関係を取り戻そうとしたのかも。毎日病院に通い、メッセージを書いて置いてくるって、今考えるとちょっと気持ち悪い。(笑)

桜木 きっと「安藤優子物語」の中の大事なシーンだったんです。そのときは、そうすることが必要だったんですよね。結婚した後にずっと両家に通い続けた私も、あのときが必要だったんだと、今思いました。

後編につづく

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