ノンフィクション作家の吉永みち子さん(左)と、作家の桜木紫乃さん(右)撮影=本社写真部
母との関係性をうまく築けなかったという作家の桜木紫乃さん、ノンフィクション作家の吉永みち子さん。吉永さんの母は、8歳で亡くした娘を最後まで忘れられず、人形に名前をつけて飾っていたとか…。それぞれの幼少期から、家族ができて以降の苦しみまでを振り返ると──(構成=山田真理 撮影=本社写真部)

<前編よりつづく

これだけ頑張っても認められない

桜木 私たち夫婦は長男と長女ですが、お互いの実家とは「最終的に責任は持つつもりだけれど、それまではノータッチで静観する」という気持ちでいます。その覚悟をした時、親離れができたんだと思います。精神的な父殺し、母殺しですね。そんな冷たい娘から見ると、吉永さんはこれ以上ないほど熱く真剣に親孝行してきたと思うのに、お母さんはいったい何が不満だったんでしょう。

吉永 最終的に、「もう一人の娘」を忘れられないからでしょう。母は私が42歳の時に亡くなったのだけど、その少し前から家の床の間へ巨大な市松人形を飾り出したんですよ。何だこれはと思ってよく見たら、木札に「命名・さち子」って書いてある。8歳で亡くなった姉の名前です。

桜木 ええー。

吉永 父が死んで30年、あなたの面倒みて、結婚しても近くに呼んで、何不自由なく暮らさせて。それでもまだ、8歳までしか生きなかった姉に私は負けるのかと。

桜木 嫌なことがあるたびに、「あの子さえ生きていれば」と呪文みたいに唱えていたのでしょうか。

吉永 空しいよねえ。

桜木 私にも妹がいますが、ご覧のとおり長女だからって無条件に優しいわけでもないし(笑)。子どもが複数いれば安泰ということもないのですけどね。お母さまは、病気で亡くなったのですか。

吉永 それが突然、自分の妹たちと旅行に行った先でぽっくり。帰宅予定日の朝に叔母から「布団の上で倒れた」と連絡があって、いよいよ介護が始まるのかと身構えたのだけれど、その場で即死だったと聞きました。