旧知の間柄だという、漫画家の池田理代子さん(右)と作家の林真理子さん(左)(撮影:宮崎貢司)
池田理代子さんと林真理子さんは旧知の間柄。池田さんが24歳の時に連載を始めた『ベルサイユのばら』は、林さんも大ファン。世代を超えた人気作品の秘密から、ともに嗜んだ趣味についても語り合って(構成:山田真理 撮影:宮崎貢司)

前編よりつづく

自分ができる仕事を見つけて

 そもそも理代子さんは、なぜ漫画家になろうと思ったの?

池田 大学に入った時、「毎日ちゃんと外へ出かけていくことに向いていない」と気づいたんです(笑)。家でできる仕事を見つけなきゃと思って。物語みたいなものは中学生の頃からちょこちょこ書いて賞に応募したこともあるのだけど、全然ダメ。なら漫画家しかないかなと。

 漫画家のほうが才能が必要じゃないですか、絵も描かなきゃいけないし。

池田 いえ、やっぱり違うと思う。軽妙なエッセイを書いていらした林さんが、柳原白蓮の伝記小説『白蓮れんれん』を出されたのを読んで、「わあ、この人こそが本物の小説家なんだ」とすごくショックを受けたもの。

 ありがとうございます。私が歴史小説を書けるようになったのは、あの作品がきっかけかもしれません。私、理代子さんの言葉で覚えているのが、「私が死んだらみんな勝手なことを書くだろうけど、林さんはちゃんと書いてよね」って。覚えてます?

池田 もちろん。

 死後、あれこれほじくり返されるのは嫌じゃないですか?

池田 全然。いちおう誰に見られてもいいように、中学の頃からつけている日記も個人名を削るなど整理は進めていますから。

 恋あり裏切りありの、まあ波瀾万丈な人生ですものね。

池田 私、幼かったんだと思う。20歳でデビューして漫画を描き続けた何十年、ずっと成長していなかった。その後、世間に放り出されて少しずつ大人になって。だから今でも、実年齢から30歳引いたくらいがちょうどいい感覚です。(笑)

 スキャンダルでマスコミに追いかけまわされていた頃、田辺聖子先生が「そういう人だからこそ、『ベルサイユのばら』が描けたんです」とおっしゃった。私もその通りだと思います。計算ずくで人生を渡れる人に、あの熱量のある作品は描けない。

池田 世間知らずだった時期を、いま取り戻しているの。(笑)