客用の料理よりおいしかった煮物
湯河原のその老舗の宿には、明治初め生まれの私の祖母がよく行っていて、当時は若い女将さんだったその人と、友達付き合いをしていたらしい。「大女将さん」は私たちが来ることを聞いて、昔の友達の娘である私の母に会いに、私たちの部屋を訪ねてくれたのである。
その時、彼女は何だったか「煮物」の鉢を持ってきてくれた。自分の隠居所の前の庭で小さな畑を作っていること。そこで採れる「なりもの」を猿が取りにきて困ること。でも思いついた時にこうして煮物をして楽しんでいることなどであった。
その煮物はほんとうにおいしかった。朝飯の後だったと思うのだが、旅館の板前さんが作った客用の料理よりおいしかった。
だから私はこの老女が、旅館の女将として味にうるさい人で、正直言って店の板前なんかの作った料理の味には我慢がならず、自分で思うさま手をかけるからおいしいのだろう、と思い込んでいたのだ。