素人としての自由な料理の姿勢を教えてくれた
母が「ご自分でお料理までお作りになるのは大変ですね。お店の献立の中で、気に入ったのだけ召し上がればいいのに」と言うと、老女は「いえ、なんにも手なんかかけておりません。粉の出汁をちょっと入れて味つけしただけで、縁側の先で採れた野菜を料理してるだけですから」と答えたのである。
賢い人である。彼女自身が隠居所にいても出汁に凝ったりして、それが板前にも聞こえたら、あまりいい気分ではないだろう。老女は自他ともに認める「手抜き料理」をしていたのである。それでも野菜が採れたてなら、新鮮といううまみも確実に加わる。
私は料理が好きだが、素人のお総菜料理しかできない。しかも時間をかけない。正直なところ私はまだ忙しくて、時間をかけたり心を込めたりした料理など、作っているひまがないのである。
その素人としての自由な料理の姿勢を教えてくれたのは、あの湯河原の宿の「大女将さん」だったのだ、ということを、実に何十年も後に思い至ったのである。
※本稿は、『人生の後片づけ: 身軽な生活の楽しみ方』(河出書房新社)の一部を再編集したものです。
『人生の後片づけ: 身軽な生活の楽しみ方』(著:曽野綾子/河出書房新社)
「50代、私は突然、整理がうまくなった」
いらないものを捨て、身軽な暮らしを楽しむ。
豊かな老いへの知恵溢れる、身辺整理の極意。