曽野綾子「我が家にご飯を食べに来る人は、母の同級生、姪や甥たち、戦争中だったから日本の若い軍人たちなどさまざまだった」(1998年10月撮影、本社写真部)
2021年、総務省が発表した統計では、65歳以上の高齢者人口は、3640万人と過去最多で、総人口に占める割合は29.1%になりました。さらに、男女別にみると、男性が1583万人、女性が2057万人と女性が男性より474万人多くなっています。91歳になる作家・曽野綾子さんが綴るエッセイには心が励まされるような言葉が並び、一人で過ごすシニア女性が前向きに生活するためのヒントが盛り込まれています。「物質的に豊かでも、心が満たされていない不幸はどの生活にもある」と言う曽野さんが、“生活の達人”と憧れる人物像があるそうで――。

台所の客

私の母は、北陸の港町の生まれで、女学校だけやっと東京で出た。終生「私は田舎育ちで、料理も田舎風で……」と言い続けていたが、少なくとも私よりよく料理をし、縫い物も達人だった。

母は誰にでもよく食事を出した。一流料亭のごちそうなど恐らく食べたこともなかった人だと思うが、お総菜にしても、食器にも一応気を使い、ものぎれいな料理を作っていた。

我が家にご飯を食べに来る人は、母の同級生、姪や甥たち、戦争中だったから日本の若い軍人たちなどさまざまだった。

終戦の年になって、私はやっと13歳だから、中には母とその人のつながりもよく知らない人もいた。

しかし誰もが母の手料理を楽しそうに食べて帰って行った。薄あげと大根の煮もの、キンピラ牛蒡などをおいしいおいしいとほめた人もいて、私はその人の気が知れなかった。

当時の私は、ロールキャベツやシュウマイなどをごちそうと思っていたのである。当時うちでご飯を食べていた人たちと、私はその後喋ったこともなく、大方の人たちはもうこの世を去ったと思うのだが、郷里を離れていたり、当時軍隊の食事しか食べられなかった人にとっては、母の手作りのお総菜はほっとするようなものだったろう、ということは推測がつく。

『人生は、日々の当たり前の積み重ね』(著:曽野 綾子/中公新書ラクレ)