私が「生活の達人」と呼ぶ人

自分自身の成長期にも、作家生活を始めてから後も、私は仕事柄、ずっと貧しさを見て暮らしている。

成長期は、終戦という国家的不幸な時代に当たっていたし、作家として取材を始めてから、私は自然に貧しい途上国にばかり行く機会が多かった。

人間の幸福と不幸は、質こそ違え、あらゆる階層の生活に遍在している。食べるものがなくて、空腹を満たせないという根源的な辛さは、貧しい生活特有のものだが、物質的に豊かでも、心が満たされていない不幸はどの生活にもある。

要はあらゆることにドギマギせず、自分の身の周辺に起きたことを、むしろしっかりと味わって、現世をおもしろがれることだろう。

それができる人を、私は「生活の達人」と呼んで憧れている。

 

※本稿は、『人生は、日々の当たり前の積み重ね』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。


人生は、日々の当たり前の積み重ね』(著:曽野 綾子/中公新書ラクレ)

 

夫の三浦朱門が亡くなって2年が経つ。知り合いには「私は同じ家で、同じように暮らしております」といつも笑って答えている。見た目の生活は全く変わらないが、夫の死後飼い始めた2匹のネコだけが、家族の数を埋める大きな変化である――老後の日常と気構えを綴るエッセイ集。