貧乏だった頃のエアコンは…

貧乏だった頃を思い出すと真っ先にエアコンが思い浮かぶ。家でエアコンが設置されていたのはリビングだけ。その1台も電気代が高いのでなかなかつけてもらえなかった。真夏のどうしても暑い日だけ、14時から2時間ほどつけてもらえることがあった。

その快適さに「これこそが楽園だ」と思った。16時頃に「もう涼しいからいいね」と切られる。しかし外はまだ涼しくなく、窓を開ければ一瞬でお湯みたいな空気が入って地獄に戻るので、窓は閉めたまま、冷えた空気の余韻をなるべく殺さないよう体の動きを最小限にして涼しさをなるべく限界まで楽しんだ。

母に「今日はめっちゃ暑い」と訴え続けるとエアコンをつけてくれる確率が上がるような気がした。だが調子に乗って言い過ぎると「電気代が払えなくなったら電気自体が止まるんだよ!? いいの?」とヒステリックに怒り出すこともあり、加減が難しかった。

母はいつもため息をつき、ことあるごとに「もう来月は生きていけるかわからない……」と嘆いた。お嬢様育ちで苦労を知らないためか、母はいつも大袈裟だった。それでも「生きていけるかわからない」と言われると怖くてたまらず、ますます節約を誓い、電源コンセントをこまめに抜き、手洗いの水も一瞬で止めた。

父の競艇の成績がいいと母の機嫌もよく、ご馳走が出たり、本を買えたりした。とくにすごかった時は、新しい家に引っ越した。

しかし、そんなことは全く嬉しくなかった。ねこまんまでも腹が満たされれば満足したし、贅沢なものを食べると罪悪感が湧き、疲れた。

外食はもっと疲れた。お金が足りるのか心配で、メニューで一番安いものを頼み「美味しかった。お腹いっぱい。もう要らない」と嘘をつかずにはいられなかった。母の顔色を伺い、終始ソワソワしてしまう。お店はどこも居心地が悪かった。

エアコンが涼しくて幸せでも、心の中で「こんなに電気を使ってお金は大丈夫か?」「また借金が増えるのでは?」「もっとひどいことになって、最悪、家族の誰かが死ぬのでは?」という不安が常にあった。

貧乏で我慢をすることは平気だったが、母の疲れた顔や、悲しいアピール、漠然とした大きな不安が常に心と頭を占めていることが辛かった。

一時期、写真左の長屋に住んでいた。赤い服が母、私と弟