「ママノート」は9年間で膨大な量に。ここに介護のすべてを記した

実家に母を引き取ると決めて

ケアハウスへ面会に行くと、「いいところに入れたわぁ。ありがとうね」と繰り返し伝えてくれた母。スタッフにも恵まれて穏やかに過ごしていましたが、少しずつ認知症の症状が進み、小規模介護施設のグループホームへ移って、6年間をそこで過ごすことになったのです。

認知症の進行を少しでも遅らせるにはコミュニケーションが大事と思い、この頃には月に1度は必ず下関に戻り、長い時は1週間ほど実家に連れて帰って、泊まる時間を持つようにしました。時には綱渡りのピンチもあって……。

下関で講演会があった際には、自宅で一緒に過ごしていた母が39度の熱を出し、夜間に脱糞していたのをきれいにして救急車に乗せ、慌てて会場へ駆けつけました。

私の場合、フリーランスで時間の融通が利くことと、旧知のスタッフも高齢の親御さんを持つ人が多く、柔軟に対応してもらえたのがありがたかったです。

そんな私がすべての仕事をキャンセルし、実家に母を引き取り一緒に過ごすことを決めたのは19年の12月初頭。その頃にはグループホームから友人のおミズが看護師長をしている病院に移っていましたが、痩せて血管が細くなり、点滴も打てない状態に。

その様子を見たおミズが「東京に戻らんでいいなら、自宅に連れて帰るかね」と提案してくれたのです。