命をつかいきった母のくれたもの
私にとっては初めての在宅介護でしたが、頼りになるケアマネジャーさんと相談し、任せる部分はプロに頼り、私もおむつ替えや夜間の痰の吸引など精一杯のことをして。でもその時は「看取る」なんてつもりはなく、とにかく母を死なせたくない一心で毎日を過ごしていました。
多くの看取りを経験してきたおミズは、自宅に戻って1週間ほどで母が亡くなるのではと考えていたようです。しかしそれから1ヵ月以上、母は私のそばにいてくれました。
どんどん痩せていったけれど、ある時「プリンが食べたい」と言うので、口に含ませてからすぐ吸引して、味わわせてあげることができた。元日には、大好きだった黒豆の煮汁をスプーン1杯。それが最期の食事になりました。
そして1月7日の深夜、大阪から駆けつけた次兄と一緒に見守るなかで、とうとう逝ってしまったのです。母が息を引き取る瞬間を目の当たりにして、「ママは命の限り生きてくれた」と感じました。
その時から、私もそうやって生きていくぞという覚悟ができた気がします。間もなく世界がコロナ禍に見舞われ、仕事がなくなったとき、私は「終活」についての専門的な勉強を始め、講演会など新しい分野の仕事を開拓。自分の遠距離介護の経験を本にもまとめました。
母が背中を押してくれた「伝える」仕事をやめなかったので、今がある! 「あや子ちゃんはずっと人のお役に立ってね」と、母が言ってくれているような気がします。