「《遠距離》がつらいと思ったことはないんです。その理由は、私と母親との関係にあったと思います」(撮影:宮崎貢司)
9年にわたる介護を経て、2020年に母親を見送ったリポーターの菊田あや子さん。「相思相愛だった」というほど大好きな母親のケアを、同居せずにやり切ったそう。遠距離介護にこだわった切実な思いを聞きました。(構成:山田真理 撮影:宮崎貢司)

母は元気だとすっかり安心していた

母の一人暮らしがおぼつかなくなったのは、84、85歳頃でした。それから94歳で亡くなる直前まで、私は東京と実家のある山口県下関市を行き来する生活を続けたのです。

通う頻度は最初は2~3ヵ月に一度でしたが、やがて毎月になり、緊急の呼び出しも少しずつ増えていく。飛行機で通う私を見て、周りは「大変だね」と言いましたが、実は「遠距離」がつらいと思ったことはないんです。その理由は、私と母親との関係にあったと思います。

食品会社を経営する寡黙な父と、優しくて明るい経理担当の母、10歳と8歳違いの兄の5人家族で私は育ちました。

兄たちにとっては、年の離れた可愛い妹。父はいかにも大正生まれの男親で、「大学は自宅から通い、地元で就職しろ」というタイプでした。母も本音ではそばにいてほしかったと思いますが、「あや子ちゃんの人生はあや子ちゃんのものだから」と言ってくれて。

演劇や放送の世界に憧れ、東京の大学に行きたがった私を「合格しちゃえばこっちのもんよ」と応援してくれました。